まあ、ライブを生観戦した方からすればそれは何十分の、ひょっとしたら何百分の1の迫力でしかないでしょうから、このライブについて云々はしません。「鼓動」という和太鼓のユニットとのコラボレーションについても賛否はあるでしょうけど、TVでオンエアを観ただけの私にそれを云々する資格があるとは思えませんので、それも控えたいと思います。セットリストについては「古い曲が多い」とも「名曲ばかり」とも言えますが、これが今のミクさんとリスナーの立ち位置なんだとしたら妥当なんだろうと思います。

 私はここでお話しした通り、初音ミクムーブメントについては初期の初期から知っていて、それなりに熱心に聴いていた時期もあります。そのミクさんも誕生から10年が経過し、今や革新性は完全に失われ、同じことを繰り返すだけの「ルーチンワーク・アーティスト」になってしまったな、というのが正直な感想です。もちろん様々な生演奏とのコラボを実現したり、映像技術にそれなりの進歩は見られますが、やっていることは2010年に開催された『初音ミク感謝祭』と大きく変わらず新鮮味はありません。当時「初音ミク」という存在が音楽業界や音楽制作者(プロ・アマ問わず)に与えたインパクトを考えると、「本当に落とし所はここで良かったのだろうか?」と大いに疑問を持ちました。

 何が正しくて何が正しくないか、それは誰にもわかりません。単なるCGキャラクターが合成音声で歌って踊るだけのボカロが実体験を伴うライブの場でどう立ち振る舞えばいいか、そんな事例は過去に存在しないからです。ただ、ひとつ言えることは「ライブとは共感の場」であるということです。では、どうすればそこに集う多くの出自の異なる人々にどう共感してもらえるのでしょう? 私は、その方法論は突き詰めれば2つあると考えています。一つは「バーチャルをバーチャルとして楽しむこと」、もう一つは「バーチャルがリアルに現出するのを楽しむこと」です。

 前者はボカロを完全にバーチャルとして扱うという発想です。一切の「現実」を排除し、その空間と時間をバーチャルで埋め尽くすのです。ディズニーランドのシアター系アトラクションがその代表例です。まるでボカロの世界に迷い込んだかのような映像と立体的な音響で観客を包み込み、圧倒するのです。当然ボカロたちは非現実的な動きをします。巨大化したり、空を飛んだり、衣装が一瞬で変わったり、消えたり、また現れたり・・・。その楽曲の世界に観客が入り込んでしまうイメージです。技術的にはホール全体をスクリーンで埋める、VRを活用するなどすれば実現可能でしょう。「ニコファーレ」のようなライブハウス的な狭い空間の方がより効果的です。

 後者は今回のライブに近い形ですが、ボカロたちを「生身の人間として扱う」ということを徹底します。衣装が一瞬で変わるとか、ミクさんに羽が生えて空を飛ぶとか(笑)、そういった非現実的な映像は一切なしです。まるでそこにボカロたちがいるかのように演奏者も振舞います。ミクに話しかけたり、ルカとボーカルマイクを分け合ったりなど、現実のボーカリストとメンバーがするようなアクションを徹底させます。ミクが観客とコール&レスポンスをするのもありでしょう。技術的には二次元スクリーンとしてなら現在でも実現していますが、究極的には3Dホログラフィーということになるでしょう。

 今回の鼓動とのコラボですが、この2つの方法論の中途半端な組み合わせだと思いました。ただ、これは今回に限ったことではなく、例の『初音ミク感謝祭』以降、映像的な目新しさを求めてこの方法論に行き着いたようです。私見ですが私はこれは失敗だと思っています。どうしても「非現実的な萌えキャラの被り物が歌って踊っているのを見るような居心地の悪さ」を感じ取ってしまうからです。『初音ミク感謝祭』があれだけ成功したのはの後者の方法論が徹底されていたからです。オープニングの『ワールド・イズ・マイン』でステージの奈落からせり上がってくるミクさんは、「ほんとうにミクさんは実在するかもしれない」と思わせる秀逸な演出でした。しかしこれ以降、映像ならではの非現実的な演出が中途半端に導入され、それが逆にミクさんのリアルな存在感を打ち消しているのではないか、と思っています。

 ボカロはオワコンだと言われていますが、まだその可能性の全てを出し切っているとは思いません。単に方法論を間違っているだけだ、というのが私の判断です。本当にそこに「音の未来」があるのなら、関係各位の正しい判断を期待したいと思います。
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